諏訪の里ブログ

もっと もっと知ろう 諏訪区のこと <1>

2020年12月31日

令和2年12月17日開催された「令和2年度 諏訪公民館ふるさと講座(第2回)」の内容を2回に分けて紹介します。
この講座は「諏訪地区 あんなとこ こんなとこ」作成紹介講座として開催されました。

 

1.知ってますか「諏訪村歌」
諏訪村歌 作詞:草間猛夫 校訂:相馬御風 作曲:石井信夫
 1.頚城平の只中に 秀麗の山妙高を
   朝な夕なに仰ぎ見て 祖先が代々に培いし
   実り豊けき此の郷土 栄光の村諏訪の里
 2.飯田の流れ恵みあり 父祖の偉業を守りつつ
   炎熱娯間も屈すなく 精神一途励むなる
   我らの前途希望燃ゆ 明朗の村諏訪の里
 3.其の名ゆかしき諏訪の森 春日の山も程近く
   徳化潤うこの村を 手に手を取りて弥栄に
   伸ばす力は我らにぞ 協調の村諏訪の里
 4.伝説堅し報國の 至誠は胸にみちみちて
   進取の精神撥溂と 意氣高らかに
   我等が道で輝ける 躍進の村諏訪の里

    ■1939(昭和14)年制定

 

2.頚城平の只中に

諏訪地区は、高田平野のほぼ中央にあり、飯田川左岸の米岡集落から北西方向に緩やかに傾斜し、北諏訪地区、有田地区へと連なっている。
標高は、米岡付近が15~16mと最も高く、南新保付近では9mと、地区内での比高は約6m~7mである。
諏訪地区からは、平野を取り囲んでいる米山、尾神岳、東頸城丘陵・関田山地、信越国境の斑尾、妙高山をはじめ火打山、焼山等の山々、西頸城丘陵、春日山付近及び海岸砂丘から日本海の海面は臨めないものの火力発電のタンク群、煙突などの海岸付近までを見渡すことができる。
なお、地区の東側、北東側に沿って飯田川が流れ、周辺は林地、原野となっている。
それらの多くは旧氾濫原である。

 

3.祖先が代々に培いし
<遺跡発掘>

ほ場整備事業や道路建設で遺跡発掘調査が行われている。
地域高規格道路「上越魚沼地域振興快速道路」の一部として建設が進められる国道253号上越三和道路建設予定地の遺跡発掘調査が行われてきた。
諏訪区では、下割遺跡、堂古遺跡、清水田遺跡で発掘調査が行われ、ほ場や集落の下の地中から遺構、遺跡が確認されている。
下割・堂古遺跡は、米岡集落の西側から鶴町にかけての水田の下に広がる遺跡で、沖積地にある。
遺跡の東側には飯田川が流れている。
下割遺跡は、大まかには
 「上層=古代・中世」
 「中層=古墳時代前期」
 「下層=縄文・弥生時代」
からなることが確認された。
清水田遺跡は、下割遺跡の西に連続している。

 

4.実り豊けき此の郷土
諏訪村は、面積12.6k㎡の平地の村として、津有村、和田村に次ぐ”大村”だった。

高田地区合計 145.24 直江津地区合計 106.47
高田 7.91 直江津 3.45
新道 7.9 五智 5.96
津有 18.2 有田 9.39
諏訪 5.8 八千浦 3.99
三郷 5 保倉 12.58
和田 13.63 北諏訪 6.89
金谷 59.64 谷浜 28.96
春日 18.86 桑取 35.25
高士 9.3   (単位:k㎡)

 

5.飯田の流れ恵みあり
<古農業用水として・・・>

真砂堰用水は、この地域の主要な古用水だった。
中江陽水工事が行われる以前の「慶長2年越後国頚城郡絵図」の中でも、真砂堰が示されている。
新田の開発に伴い用水不足が深刻化し、高田平野全体を潤す大規模用水の開発が促された。
中江用水の開削後も真砂堰用水の水不足は深刻であり、1770(明和7)年には、四辻・角川・新屋敷3カ村地内に幅9尺、長さ240間の水路を開削、古江筋長さ50間を買い取り角川堰枠辺から飯田川に加え水を引いている。
1783(天明3)年には、中江用水野田樋、正野森樋組より、この「加え水」の取り壊し要求に対しても話し合いで和解する等を行ったという。
後に、両樋に加え八寸樋を設け、重川を通して下加え八寸樋で飯田川に落水、飯田川の水量を増加させた。
渇水気になると、加え八寸樋からの用水の補給はあったとしても、飯田川の水量は減少し、大堰(東流部)、小堰(西流部)の草堰二ヶ所で飯田川を堰き止め、東西両江口から揚水した。
大堰、小堰の草堰は、4年ごとに改築された。
草堰には、多くの土砂を必要とした。
公民館諏訪分館東側の公園付近は、真砂堰用水組合が所有し、土地の確保の用地としていた。
飯田川への落水を行う下八寸樋や東西両江口は15年ごとに仕立替する慣習となっていて、その手間や経費は甚大だった。
飯田川からの安定した用水確保の努力は、1917(大正6)年、林彌一郎村長在任当時、計画起工以来3カ年を要した真砂堰大ピーアーの竣工及び1933(昭和8)、1934年に真砂堰以下杉野袋永久工沈床までの改修が行われるまで営々と行われた。

<村々も立地も飯田のめぐみを・・・>

自然堤防の分布からは、高田平野頭部は保倉川、飯田川、桑曽根川、櫛池川、重川、戸野目川、関川が縦横無尽に乱流していたことが分かる。
飯田川の流れの跡として、米岡ー米岡新田ー上真砂ー南・北新保へと続くライン、米岡ー北田中ー諏訪ー高森へと続くライン、現在の上真砂ー杉野袋ー飯塚ー川端へと続くラインなどは自然堤防列と言える。
姿を変える流れと流れによって形作られた自然堤防は、集落を立地させ、そして移転・消滅の舞台となってきた。
遺跡、今日の集落の多くは自然堤防上に位置している。
洪水から身を守るためには、僅かな高さの違いも大切な条件となっていたのだろう。