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里づくりだより

【諏訪の里の碑】~ 筆塚記 ~

上越市横曽根の諏訪社東側に「筆塚記」と記された碑があります。
明治25年6月建立


今回は、この「筆塚記」についてです。
碑文を読むにあたり、地元(横曽根)の方のご協力をいただきました。

この碑には、次の碑文が刻されています。

この石碑に書いてあることの、およその内容を次に紹介します。

筆塚記
雙岳保坂貞吉篆額てんがく
君のいみなぐん、竹内角之丞氏と言う。本人が言うには、某 舊高田藩士きゅうたかだはんしなり。彼の性格は、誠実で学問を良くする。かつては私塾を頸城郡横曽根村に設け、村人を教えた。子供たちは字を習い、書を読むを繰り返して嫌になることはない。是を聞いて、遠近から門人になろうとする者が日ごとに多くいた。子郡は、年老いて根岸吉利を養子とする。次の代も、生徒にく家に伝わる学問を学ぶことをすすめた。吉利は老いると、子どもに後をがせた。又、今生徒第一に、父祖のやり方を受け継いで授業をした。それは理解を得て、生徒の多くは近郷のもので、それは比べようもない。時代が変わり、学制が変わったことで私塾を遂に廃止した。初に子郡が私塾を創立、吉利父子と三代が百二十餘年にわたってよく受け継いだ。何という充実していたことか。今この六月、門人等が孫謙造と相談して、この筆塚を立てた。私が書き表した。その内容は此れまで述べたようなことである。
明治二十五年六月   荷裳にも 小島堅吉撰
             得菴とくあん 市河三鼎書

竹内家一代目角之丞(姫路藩士と思われる)が私塾を開いてから三代、百二十余年、地域の子弟の教育に貢献したが、明治の学制によってその役割を終了、閉塾した私塾への、門人・孫たちによる顕彰碑です。